かれちちさん、またまた狩野絵師の書き込みありがとうございます。
私の調べたところでは絵師狩野として最初に歴史に記憶されるのは、正信の父景信です。
永享4年(1432)室町6代将軍、足利義教が富士遊覧として駿府に滞在した折、その御前で富士
山を描いたことが記録に残っていると言われます。
また、景信は、頼朝の側近として活躍した狩野宗茂の養子祐光の系統でもあるとも言われています。
狩野派は、当町にあった狩野城を拠点に、伊豆を数百年にもわたって支配していた狩野一族の出身で
あり天城湯ケ島は、そのルーツということになります。
清水市出身の日本画家で、狩野派の研究者としても知られる村松秀太郎氏は、天城湯ケ島町を絵師狩
野派発祥の地と位置づけ、新聞や雑誌等のメデイアに発表しました。
正信の子、法眼が富士山の美しい姿に感動して描いたということも、k記録にあり、中伊豆には法眼坂という地名もあるようです。
武家狩野から天才絵師が生まれる土地柄だったのですね。