大見川と富士 投稿者:レインボージイジ 投稿日:2007/03/08(Thu) 16:38 No.187
早朝は雲一つ無かったので安心して現場に着くと雲で頭が隠れていました。
富士山は諦めての帰り道で中伊豆温泉病院の近くに変わった標識(ポール)が立っていました。
『名勝 法(眼・印)坂』と書いて有りましたが周りは何も見えない所でした。
近くにいた方に尋ねると昔から(ほうえんざか・ほうえんざか)てゆっているが詳しい事は解らないと言っていました。
ご存知の方教えてくださいお願い致します。
Re: 大見川と富士 管理人 -
2007/03/08(Thu) 21:40 No.188 
富士山にかかる雲は、気まぐれそのもの。現地に行くまでに富士山の
景色を台無しにしたり、困ったものです。
標識のことは、私も良くわかりません。どなたか、由来がわかる人が
いらっしゃいましたら、ぜひ情報をお寄せ下さい。
私からも、お願いいたします。
Re: 大見川と富士 かれちち - 2007/03/09(Fri) 08:20 No.189
天城湯ヶ島地区柿木に1170年頃狩野城を築いた狩野茂光の子孫で、室町時代中期の画家、狩野派の始祖 狩野正信の子、狩野法眼元信(1476~1559)は先祖のいた狩野を訪ねた後大見路めざし、この坂をのぼりつめてふと振り返る時、そこに眺める風景と富士山の美しい姿に感動して山頂にのぼり、これを画いたという。
蛇行する大見川の流れの先に、遠く近く幾重にもなる峰の向こうに白雪をいただく富岳の姿は、法眼の心を強く捕らえたことであろう。
法眼坂の地名のおこりはこれから生まれたものという。
この山道の峠の頂上をはさんで、公図には小川側を 字法印坂(ほういんざか)、梅木側を
字法眼坂(ほうげんざか)と記してある。
法印・法眼・法橋は学徳すぐれた僧に宮廷から与えられた僧位。
室町時代になると俗人の画家でも形式だけ僧籍に入って僧位を獲得し、江戸時代にはこの位が画家の身分上の階級位になったが明治6年(1873)に廃止された。
資料 中伊豆町教育委員会 「大見の史話と歴史」
「大見の史跡めぐり」
その他ネット検索等による
Re: 大見川と富士 管理人 -
2007/03/09(Fri) 11:41 No.190 
かれちちさん、ありがとうございます。前掲示板(旧ボード)のNO.543の書き込み
の中で法眼の話題にふれられていたことを思い出しました。
その中で、県の行政センターのページからも、何かわかることがないかと思いましたが、
県でもページを移動か閉鎖したようで、リンク切れになっていました。(残念)。
もともと、狩野城が出発点と考えられますので、絵師狩野派のことをもう少し勉強し、
応用問題にもある程度は、お答えできるようにしたいと考えています。
Re: 大見川と富士 レインボージイジ - 2007/03/09(Fri) 15:01 No.191
かれちちさん、管理人さん、ありがとう御座いました。
大変勉強になりました、次回は、富士山のご機嫌の良い日に頂上に上がって見たいと思います。
私は、中伊豆 歴史民俗資料館に行ってきました。
館長さんと思われる方が大変親切に説明をして下さいました。