郷研ボードⅡ

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第63期本因坊戦  投稿者:潮騒親父 投稿日:2008/07/09(Wed) 12:24 No.1221
第63期本因坊戦第6局が土肥の旅館玉樟園新井で16日、17日に戦わ
れます。これまでは本因坊秀紳の3勝、羽根直樹九段の2勝です。
伊豆市小下田は本因坊秀和出身の土地、秀和は一昨年囲碁殿堂入りを
果たしました。これまで囲碁殿堂入りをしているのは徳川家康、
本因坊算砂、本因坊道策、本因坊秀策本因坊秀和、大倉財閥2代目の
大倉喜七郎の6人。土肥最福寺には顕彰碑や碁盤、資料があります。
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Re: 第63期本因坊戦  管理人 - 2008/07/09(Wed) 21:08 No.1222  HOME
 最福寺のしだれ桜を見に行った折に、本因坊の顕彰碑を見ましたが、
本因坊秀和の出身地で本因坊戦が行われることは、素晴らしいですね。
 本因坊の防衛か、挑戦者がタイに持ち込むか、きっと手に汗にぎる
戦いになるでしょう。
 囲碁は良くわかりませんが、結果が気になるところです。

Re: 第63期本因坊戦  潮騒親父 - 2008/07/10(Thu) 01:18 No.1223
本能寺の変前夜、織田信長は鹿塩利玄と囲碁を楽しんでいたところ「三コウ」と言う滅多に出来ない勝負がつかない不吉な手が出来てしまいました。そして翌日、明智光秀によるクーデターが起きるのでした。しかし明智光秀は信長の首を見つけることは出来ませんでした。信長に日頃可愛がられ「そちは誠に名人なり」と言わせた本因坊算砂は原志摩守宗安に命じ信長の首を炎上する本能寺から持ち出させ、何と富士芝川の西山本門寺の奥のヒイラギの木下に納めたのでした。西山本門寺には「信長公の首塚」があるのです。本因坊と信長、秀吉、家康とは碁を通じて深い係わり合いがあるのです。そうそう「名人」と言う言葉はここから出たそうです。

Re: 第63期本因坊戦  管理人 - 2008/07/10(Thu) 08:25 No.1224  HOME
 碁は全くわかりませんが、「三コウ」というのは、多分将棋で言う「千日手」のことで
同じ手がどうどう巡りをして、いつまでも勝負がつかないということではなかったではな
いでしょうか。
 土肥は、本因坊ゆかりの地ですし、近くにも碁を通じての武将のつながりを証明すると
ころもあり、奥の深さを考えさせられます。

Re: 第63期本因坊戦  かれちち - 2008/07/10(Thu) 17:32 No.1225
私も碁はほとんどわからないのですが、潮騒親父さんが№1223で紹介された、本因坊と信長・秀吉・家康の関係が面白く、このことが「日本棋院」のホームページに詳しく紹介されていました。

(パソコン操作が初心者の為、アドレスが間違っていないか心配です。)下記アドレスの上でクリックしてください。

http://www.nihonkiin.or.jp/lesson/knowledge/history04.htm
修善寺七夕祭り  投稿者:かれちち 投稿日:2008/07/06(Sun) 09:19 No.1219
7月5日(土)修善寺小学校5年生による手作りイベント
「修善寺七夕祭り」の名所スタンプラリーに参加してきました。

修禅寺・とっこの湯・竹林の小径・赤がえる公園・指月殿・ギャラリーしゅぜんじ回廊を巡り
スタンプを捺してもらい、クイズに答えたり、お茶を接待してもらったりとても楽しいひと時でした。

観光客や地元の家族ずれも多く、短冊に願い事を書いて七夕に飾り付けていました。

一生懸命おもてなしをしている浴衣姿の児童たちは皆さんとても素敵でした。
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Re: 修善寺七夕祭り  管理人 - 2008/07/06(Sun) 10:03 No.1220  HOME
 七夕祭り・名所スタンプラリー、ご出席おつかれさまでした。児童たちの手によって企画された
 このイベントは、修善寺温泉の風物詩として根付いた感がありますね。
 昨日の日日新聞にも出ていましたが、浴衣姿の子供さんとのふれあいは、観光客の皆様も、
満足されたことでしょう。
駿豆線  投稿者:かれちち 投稿日:2008/07/03(Thu) 16:26 No.1217
豆相鉄道株式会社は昭和15年11月に駿豆鉄道株式会社に社名変更、更に昭和32年6月に
現在の「伊豆箱根鉄道株式会社」に社名変更されました。

路線名の駿豆とは駿河国と伊豆国からきているが、これは前に駿河国の沼津と伊豆国の三島間の
路面電車(明治39年開通~昭和38年廃止)を当初運行していた駿豆電気鉄道の路線だった
ことからきているようです。(写真は伊豆箱根鉄道ホームページから電話してお借りしました。)
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Re: 駿豆線  管理人 - 2008/07/03(Thu) 20:31 No.1218  HOME
 広小路と沼津間のちんちん電車には、高校時代に何回か乗った思い出が
あります。大変懐かしい電車で、途中下車して東静病院に行ったこともあ
りました。
 駿豆線は駿河と伊豆、スケールの大きな鉄道ですね。
虹の郷の紫陽花  投稿者:天城方面隊 投稿日:2008/07/02(Wed) 12:36 No.1216  HOME
 久しぶりに修善寺虹の郷へ行ってきました。
 今月、13日まで紫陽花まつりが行われていて、10種3,500本の
紫陽花がきれいに咲いていました。
 花菖蒲は盛りを過ぎていましたが、カナダ村近くの薔薇園では、赤や黄
色のバラが順次咲き、当分楽しめそうです。

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(7月2日午前9時30分撮影)
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駿豆線開業110周年  投稿者:かれちち 投稿日:2008/07/02(Wed) 11:50 No.1214
駿豆線は伊豆箱根鉄道の前身である豆相鉄道が1898(明治31)年5月20日、三島町駅(三島田町駅)から
南條駅(伊豆長岡駅)間に、民営鉄道として静岡県内で初めて蒸気機関車を走らせたのが始まりです。
翌年7月に大仁駅まで、1924(大正13)年8月に修善寺駅まで開通しました。

これを記念したロゴヘッドマークをつけた電車2編成が運転されています。
①~③ 7月1日午後、牧之郷駅で撮影しました。

④~⑥ 伊豆箱根鉄道のホームページに当時の珍しい写真と時刻表が掲載されていましたので
    ぜひ皆さんに紹介いたしたく、担当の方に電話して了承をいただきました。
    (写真提供 伊豆箱根鉄道株式会社)

     明治36年1月の時刻表を見ますと大仁~三島間を50分位で運転されていて
     東海道線も名古屋・神戸?の行き先もあります!!
     知りませんでしたが東海道線(新橋~神戸)は明治22年7月に全通したそうです。
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Re: 駿豆線開業110周年  管理人 - 2008/07/02(Wed) 12:28 No.1215  HOME
 駿豆線も、高校時代に通学の足としてお世話になりましたが、それも
40年以上前の話、開業は明治31年と言うと、なった祖父が3歳の時
という事になります。
 当初の終点伊豆長岡が大仁まで延び、大正13年の修善寺延長は、父
親の生まれる1か月前ということになります。
 勝手に我が家の歴史と重ね合わせてしまいすみませんでしたが、貴重
な写真をありがとうございます。
海開き  投稿者:潮騒親父 投稿日:2008/07/01(Tue) 12:52 No.1212
土肥海水浴場の海開き式が伊豆市長はじめ観光関係者出席のもと土肥海水浴場で行われました。土肥海水浴場と小土肥海水浴場は環境省の定めた水質基準(大腸菌、油膜、COD、透明度など)では最高のAAをクリヤーしております。海水浴客の安全を守るライフセーバーも海開き式には参加しております。本格的な夏を迎えるのは7月20日頃からです。
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Re: 海開き  管理人 - 2008/07/01(Tue) 16:32 No.1213  HOME
 土肥海水浴場のオープンは、まさに伊豆市に夏の到来を告げるイベントですね。
 ライフセーバーも万全の体制で、シーズンが始まりますが、この方々の活躍機会
が少ないことを願っています。
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